雪月花(前編)

2017年03月08日

雪月花(前編)

野球世界一を決める第4回WBCが開幕した。
過去2度の優勝を経験している侍ジャパンは前回大会の雪辱を晴らすべく、大事な初戦、強豪キューバを退けた。
心なしか、連覇をした、2006年、2009年に比べて世の中的に盛り上がりに欠けているのは気のせいだろうか、、、。
各国リーグの都合上、ベストメンバーを揃えられない(今回もアメリカはメジャーリーガー、バリバリ昨シーズン活躍した選手の招集は少ない。日本は青木選手のみ)事情はあるにせよ、【世界一】を決める大会。
と謳ってる以上、相応しい盛り上がりがみたい。
記憶に新しい第2回大会でのイチロー選手の決勝タイムリー。
ダルビッシュ投手の雄たけび。
今回もそんな侍ジャパンの一体感を全面に出し、王者奪還してほしいものです。

サッカーではJ1,J2リーグも開幕し、早くも2節を終了し、今年は大混戦が予想される。
こちらも目が離せない。

大相撲では、久しぶりの日本人横綱誕生に注目が集まる。 12日に初日をむかえ、横綱稀勢の里にとってどんな場所になるのか楽しみである。
女子バレーボール界では、これまで日本代表を牽引してきた木村沙織選手が先日引退した。

まだまだ話題は尽きないスポーツ界だが、なんといってもまず、大きなイベントの一つはオリンピック。
2020年に東京でオリンピックが開催されるが、実は次回の冬季オリンピックはもうすぐである。

平昌オリンピック

2018年、23回目の冬季オリンピック開催まで1年を切った、、、。
アジアの地、韓国で開催される今回の【平昌オリンピック】。
オリンピックといえば、陸上競技を中心に夏のイメージが強いが、冬のオリンピックも熱い。
(夏の方が、競技数も出場国も出場選手も圧倒的に規模が大きい。)
冬季スポーツで注目する競技はやはり、スキー、スノーボート関連が主である。
その中でも、個人的に好きな競技の一つがスキーのジャンプ競技。

きっかけは、なんといっても1998年長野オリンピック。
当時、岡部孝信、斉藤浩哉、原田雅彦、船木和喜の4選手で獲得したジャンプ団体の金メダルは日本中に歓喜をもたらした。(今や【レジェンド】と呼ばれる葛西紀明選手は個人種目には出場するものの団体メンバーは補欠であった。)
特に原田選手の涙インタビューに感動した人は多いのではないだろうか。
1人2本飛んだ、全ての合計点で争われる団体競技は、メダル獲得には大きな失敗は許されない。
そんな中、原田選手は1本目のジャンプに大失敗をしてしまい、なんとか2本目に大ジャンプで盛り返すも、最後の最後まで勝負の行方はわからなかった。
途中、吹雪により中断があり、ここで競技打ち切りになれば、日本の金メダルはなかった。
なぜなら日本の1本目終了時点の日本の順位は4位、、、。

競技再開には、テストジャンパーが飛距離を出して競技が再開出来ることを証明しなくてはならなかった。
(みたことある人もいるかと思うが、ジャンプ競技にはテストジャンパーがいて、飛びやすいように助走をならしたり、競技再開前にテストジャンプをする)

25名の日本人テストジャンパーは吹雪の中、ひたすら飛び続けた。
出場選手が付けるゼッケン番号はない。
ただただ、日本に2回目のジャンプを飛ばせるために、、、。
飛び続けた。
いや、飛び続けなくてはならなかった。。

 

一人のテストジャンパーの存在

 

これは有名な話だかそのテストジャンパーにはオリンピック出場を目指す有力選手がいた。
西方 仁也選手。
腰痛のため、長野オリンピック出場には出場出来なかった、、、。
夢を諦めた西方先生に、協会から要請されたのは、テストジャンパーとしての任務。
望んでもいないテストジャンパーとしての役割だった。

吹雪の中、飛び続けるテストジャンパーたちだったが、ヨーロッパの審判団は競技の再開をよしとしない。
このままでは、1回目の成績が反映され、日本はメダルにすら手が届かなくなる。。

2回目のジャンプを行なえる条件はただ一つ、、、。
テストジャンパーの中で、実力のある西方選手が大ジャンプをすることだけ。
だったそうだ、、、。
決して表舞台には出ないこの戦いに西方選手は挑んだ。

結果、、、西方選手(さん?)はK点(120m)を超える大ジャンプを魅せる。
因みに、優勝した日本人選手たちの飛距離は以下の通り。

        1回目   2回目

岡部孝信選手     121.5m     137.0m

斉藤浩哉選手     130.0m     124.0m

原田雅彦選手     79.5m       137.0m

船木和喜選手     118.5m     125.0m

いかに西方さんのジャンプが凄かったがわかる。
歓声も何もない、静寂の中、吹雪を掻き分け、日本の金メダルを手繰り寄せた一人のテストジャンパーの存在。

原田選手が涙ながらに、

『俺じゃないよ、みんななんだ、みんなだよ。』

と言った言葉の中には、きっと西方さんの存在もあったのだろう。
こうして、日本ジャンプ陣は栄光の時代を築き上げるはずだった。

 

低迷期

しかし、長野オリンピック以降のルール改定(あとで触れる)後、次のソルトレイクでは団体5位、続くトリノでは6位、バンクーバーではまたしても5位とヨーロッパ勢に大きく差をつけられた。
団体だけを見れば、ソルトレイクではドイツ、トリノ、バンクーバーではオーストリア、ソチではふたたびドイツが優勝を果たしている。
その間、ヨーロッパ勢以外にメダルを手にした国はない、、、。
このまま日本は低迷期を抜け出せないのか。
長野オリンピックのような歓喜の瞬間を再び迎えることが出来るか。

記憶に新しい2014年ソチオリンピックでようやく、16年ぶりに『銅』メダルを獲得したもののワールドカップの成績からみてもまだまだ日本とヨーロッパ勢の差は歴然である。

この低迷期、言われ続けてきたのが、スキー板の長さ問題。
素人目にもルール改定後の日本勢の悪戦苦闘ぶりは一目瞭然だった。
(確か、長野オリンピックまでは、身長に対して最大〇〇cmまでのようなルールだったはず、、、。)
それが長野以降は『身長の146%』とされ、小柄な日本人には不利だとされた。
当然、板が長い方が、距離は出る。
規定は以下の通り。
http://www.meg-snow.com/jump/rule/rule.html
つまり、BMI(体格指数)によって決められる。
これだけが低迷の理由ではないだろうが、少なくともこのルール改定に日本ジャンプ陣は順応出来なかった。

また、オリンピックで勝てないことは、人気低迷の原因でもある。
当然のことながら競技が注目されなければ、いい環境でプレーは出来ないし、いい選手は生まれない。
そんな、不毛の地と化したスポーツが日本にはいくつもある。

先駆者たちは、そんな中、試行錯誤しながらその競技の発展に尽力した。
そんな中、瞬く間に彗星のごとく現れたのは女子ジャンパーの『高梨沙羅』選手。
彼女の登場により、ジャンプ競技の取り巻く環境が一気に変わった。
先日、ワールドカップ通算勝利数を53とした。(2位のアメリカ、サラ・ヘンドリクソン選手で13勝である)
これは男女通じて現在世界1位である。

それと忘れてならないのが、レジェンド『葛西紀明』選手の活躍である。

 

この辺の話題は後編で。

 

 

 

 

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