真の強さ(後編)

2017年04月17日

真の強さ(後編)

今期のチームウエアを添えて。

〜後編を前にコーヒーブレイク〜

先日、一人の偉大なアスリートが現役引退を発表した。

浅田真央選手。
不思議なもので、多くの人が彼女のことを「まおちゃん」と呼ぶ。
彼女ほど、これだけ多くの人に愛されたスケーターはいないのではないだろうか。
それにしても、皆、勝手だ。
まおちゃん、まおちゃん。
と、彼女のスケート人生に土足で入り込む。
そして、彼女の競技(演技)にのめり込む。
あたかも、自分が当事者であるかのように。
彼女がジャンプを飛ぶ瞬間には力が入るし、滑っている時は固唾を呑んで見守る。
勝手なものだ。

でも、それが彼女の魅力だと感じる。
自分と重ね合わせて戦ってしまうのだ。勝手に、、、。
ソチオリンピックのあの伝説のフリーは私自身ものめり込んでいた、、、。

本当に感動した瞬間だった。

メダル、メダル。

あたかも出場することはメダル獲得が至上命題かのように報じる。

この風潮はずっと変わらないが。

しかし、あの滑りには、オリンピックの本当の意味での在るべき姿、意義。

そんな全てが彼女が飛んだ一つ一つのジャンプ、スケーティングに詰まっていた。

最後の最後にグッと天を見上げた先に何が見えたのだろうか。

一瞬の沈黙の後、いつものスマイルが大喝采に包まれた。

思えば、先日の引退会見もそうだ。

これまで気丈に受け答えしていた彼女が最後の最後に言葉を詰まらせた、、、。

後ろを向いて涙をぐっと堪えた。
その瞬間、私はソチオリンピックでの最後のシーンがシンクロした。

全日本選手権での金メダル、世界選手権での金メダル、オリンピックでの銀メダルは思い出せない。

でも、ソチオリンピックでのあの天を見上げたシーンは脳裏に焼きついている。

記録も申し分はないだろう。
それでも、浅田真央という選手は俗に言う『記録よりも記憶に残る選手』だったのではないだろうか。


ソチ後、束の間の充電期間を経て、再びオリンピックを目指した。「平昌五輪を目指します」公言した手前、後戻り出来なくなった状況。

手放しでその状況を喜ぶ国民。

しばらく勝てなくても、浅田選手ならオリンピックの前に必ず復活する。
と報道するメディア。

日に日に、プレッシャーは大きくなっていたのではないだろうか。
我々には到底、想像もつかない、、、。


復帰後、推測だが、彼女は競技を続ければ続けるほど、平昌五輪が遠のいていくことを感じていたのではないだろうか。
「オリンピックを目指す」というよりも「平昌まで続けます」と言った自分自身の発言にどう落とし前をつけるか、葛藤していたのではないだろうか。
大きな責任感から。

何はともあれ、彼女の競技を見れなくなることは非常に残念だ。

御多分に洩れず、感想を述べるなら、お疲れ様です。感動をありがとう。

この一言に尽きる。

 

真の強さ

だいぶ、本題からそれてしまったが、話題を戻す。

前編での話題は、久々の日本人横綱の誕生。

『稀勢の里』

前編でも述べたように、『日本人力士』だから応援する。
という概念は私にはない。

こんなエピソードが先場所もあった。
最後の最後まで優勝を争っていたカド番大関『照ノ富士』
モンゴル出身力士だ。

怪我に苦しみ、再起の場で、奮闘し勝ち星を重ねる。

千秋楽を前にしてついに単独トップに立つ。

しかし、、、。
その取り組みで照ノ富士は立合いで変化し、向かってくる琴光喜を一瞬にして破る。

色んな状況が重なっていた。
琴光喜はこの場所、大関から陥落し、10勝以上で再び大関に返り咲ける場だった。
序盤から動きの良かった琴光喜はかつての力強さを取り戻し、大関返り咲きまであと一歩のところだった。

そんな大一番で、照の富士は咄嗟に変化を試み、琴光喜を土俵下に沈めた。

誰もが、がっぷり四つの大相撲を期待した。

むろん、琴光喜はその気だっただろう。
あの勢いをみれば一目瞭然だ。

そんな結末に世論は、照ノ富士に非難の言葉をあびせる。
負けた琴光喜には賞賛の嵐。
場内が異様な雰囲気になり、ブーインがおきる。
相撲でなかなか見ない光景である。
聞くところによると差別的な発言もあったらしい。

目を背けたくなるような光景だった。

重んじるべきしきたり、歴史。
多くが大相撲にはある。

らしい。

 

それでも、目の前の勝負に勝とうとした照ノ富士がここまで非難されるのには疑問を感じた。
自分自身の怪我の状態。優勝への欲。
琴光喜の気迫。

当たって砕けろではなく、冷静に勝負に拘った結果になぜ評価されないのだろうか。

かたや翌日。
怪我を抱えて鬼気迫る表情で土俵に立つ横綱稀勢の里。

星の差一つで追いかける。

運命の照ノ富士との戦い。

前日の取り組みをみれば(怪我の影響か、あっさりと鶴竜に敗れる)、十中八九、勝機は照ノ富士にあった。

左で差せない稀勢の里は、苦肉の策を取る。
少し変化して、照ノ富士を土俵下に追いやる。

この取り組みは、大喝采がおきる。

 

日本人力士だから?

と思わずにはいられない光景だった。

どちらの力士が好きとか嫌いではなく、そういうところで価値を下げるのはいただけない。

 

なので何度も言うように私は日本人力士だから。

という理由で稀勢の里関に惹かれたわけではない。

 

単純に稀勢の里の戦う姿勢に共鳴する。


横綱までの苦しかったことの一番に『1日だけ怪我で休場しなくてはいけなかったこと』

これが挙がってくるのはなかなかいないのではないだろうか。

相撲を見ればわかるように、勝った力士もガッツポーズをしたり喜びを爆発させたりすることはない。

それでも、表情は緩んだり、悔しがったりある程度の喜怒哀楽は感じ取れる。

しかし、稀勢の里からはそれが全く感じ取れない。
勝っても負けても終始、表情を崩さず、土俵入りから土俵を降りて支度部屋に向かうまで厳しい表情は崩さない。

勝負師の顔そのものだ。

 

稀勢の里をみていて感じる真の強さは土俵際にある。

所謂、『横綱相撲』のそれとは違う。

かつて、千代の富士、貴乃花、曙、朝青龍などがそうであったように相手になにもさせず圧倒的に勝つ相撲とは違う。

今の横綱で言えば、

オールマイティーな白鵬
スピードと技の切れで相手に相撲をとらせない日馬富士
相撲の巧さで圧倒する鶴竜

そのどれもに当てはまらない。

相手に攻めるだけ攻めさせて、最後の最後、土俵際のところで勝つ。
ひやひやする相撲が多い。

それが稀勢の里の相撲なのかどうなのかは本人しか知り得ない。

それでも、こういう横綱は今までみたことがない。
少し若乃花(若貴兄弟の兄)に似ている部分はあるか、、、。

あの下半身の強さは並大抵の稽古では身につかないだろう。

 

何はともあれ、これから大横綱になることを期待したい。

 

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