コツコツと。

2017年02月08日

コツコツと。

英雄

コラムを書く機会を与えて頂き、今まで以上に色々なスポーツに感心を持つようになった。中には、ルールもいまいちわからないようなスポーツもあったりする。

しかし、何度も言うようにスポーツに共通して言えることは、そこにはいつも筋書きのないドラマが用意されている。

時に思いもよらないような大逆転劇だったり、大きな感動があったりするものだ。

そこに筋書きはない。

 

先日、テニスの伝統的な大会、デビスカップでは自分のプレーに苛立ったカナダの若い選手が手に持っていたボールを観客席に打ち込もうとしたらそのボールがなんと主審の左目に直撃し、失格になるという事態があった。

こういう光景は見たくない、、、。

http://www.jta-tennis.or.jp/tabid/445/Default.aspx

 

話を戻そう。

劇的な試合には、勝利の立役者なるものが存在する。

いわゆる【ヒーロー】だ。

 

幼い頃に夢みたヒーローは架空の存在で、人それぞれの感じ方や捉え方、想像によって造られるものである。

画面の中で自由自在に空を飛び回り、変身して最後に必殺技で、悪役をやっつける。

大切なものを守ってくれる。大切な誰かを助けてくれる。

それが造り上げられたヒーロー。

 

しかし、大人になるに連れて、現実と向き合う中で、己の中に宿るヒーロー像は変化する。

画面の中で劇的なゴールを決めるストライカーであったり、サヨナラホームランを打つバッターだったり、豪快なストレートで三振をとるピッチャーであったり、病を治す医者であったり、パイロット、警察官だったり、実在するものになる。

 

では自分はどんなヒーローになりたいのか?そう考えたことはないだろうか。

しかし、ヒーローはヒーローであって、身近な存在であるものの、己の中に存在するものであり、思い描くものにはなれない。

ヒーローになったとしたならそれは、どこかの誰かのヒーローであり自分自身の描いたものではない。と思う。

 

想像はいつまでたっても想像でしかないのだから。

形にはならない。なれない。

 

以前、メジャーリーグ(ボストンレッドソックス)に移籍した松坂大輔選手が、最初の会見で、【夢が叶いましたね】みたいな質問を記者がした。

しかし、松坂選手はこうかえした。「夢はみるもの(寝てるときに)。叶わないのが夢。自分はずっとメジャーで投げることが出来ると信じ、それを目標としてやってきたので今があるのです。」と返したのを鮮明に覚えていて、それに似たものを感じた。

 

一人の男の存在感

では、例えば、これが「あなたはどんな男になりたいですか?」

と聞かれたとしよう。

 

「かっこいい男、頼れる男、ユーモア溢れる男、スポーツ万能な男、仕事をスマートにこなせる男、お金持ちな男、背の高い男、スマートな男、清潔感のある男、頭のいい男、気が利く男、、、。」

と、具体的になりたい像がみえてくる。さてなんと答えるだろう。

 

どうだろう。

男なら誰しも一度はこう思ったことはないだろうか。

 

「同姓(男)からかっこいいと思われるような男になりたい」

 

きっとあるのではないだろうか。

 

私もある。

私の中では、そんな男の中の男が黒田博樹選手だ。

まだ記憶に新しい、昨年シーズン終了後、惜しまれつつ広島カープのユニホームを脱ぎ、現役を引退した。

メジャーリーグでバリバリ活躍していた選手が最後は、広島で現役生活を終えた。

戦力外とかそういうことではなく、、、。

そこには、まだまだ活躍出来るときに日本に帰ってきて広島に恩返しがしたい。

という思いがあったのだという。

メジャーからの巨額のオファーを断り、広島カープに戻ってきたのだ。

簡単にオファーを断ったなんて言うが、オファーを出しているのはメジャー屈指のビッククラブ、ニューヨークヤンキースなのだから、、、。

おそらく、世界中どこにいっても、ヤンキースを知らない人はそういない、、、。

いわば、バルセロナやレアルマドリード、バイエルンミュンヘン、マンチェスターユナイテッドからのオファーを断るようなものだと思う。

しかも、その移籍先は広島の市民球団だというから驚きだ。

 

自分を評価してくれるチームにお世話になる。

スポーツの世界はお金じゃない。なんて耳にすることもあるが、プロスポーツの世界はある意味お金で動いて当然だとも思う。

自分の身を削り戦い、評価してもらう。それが仕事だから。

その価値はお金で明確に判断され、選択することに何の違和感もない。

しかし、節目節目で、下してきた黒田選手の決断には、男気が溢れていた。

 

はじめに言っておきたい。だからと言って、私自身が黒田選手のファンか。と言われればそうではない。(阪神タイガースをこよなく愛している)

事実、実際に黒田選手の投球を生で観たのはただの一度しかない。

確かドームでの巨人戦だったか、神宮でのヤクルト戦だったか、交流戦だったか、、、。

勝ち負けも覚えていない、、、。

 

しかし、鮮明に目に焼きついているのは、マウンドでの存在感、打者に向かっていく闘志、気迫。

これは私がこれまでプロ野球を観てきた中で間違いなくNo.1。

 

なぜそう感じたのかは、後に読んだ著書【決めて断つ】

https://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4584393664/otonews-22

でわかる。

この本は是非、皆さんにおすすめしたい。

下手なビジネス書なんかのhow to本を読むよりよっぽど心に響き、揺さぶられる。

体現してきた人の言葉だからこそ、雑念なく、ストレートに突き刺さる。

 

まあ、私なんかよりも、多くの人たちが黒田選手のことを語っているので、参考にしてもらいたい。

 

なので、私なりに著書の中で印象に残ってる話題をいくつか。

 

因みに多くの人がご存知の通り、著書の『決めて断つ』は黒田選手のいう『決断』であり、

そこには、

『決断』というのは単に「決める」事ではなく、なにか「決める」と同時になにかを「断つ」ことへの覚悟が重要だと言う。

メジャー移籍時、愛する広島カープを断った黒田選手。

広島カープを離れることが、黒田選手にとってどれだけ大きな決断だったのか。

何かを成し遂げる《決める》分だけ何かを《断ってきた》。

 

真髄はそこにある。

 

『野球を楽しいと思ったことはない』

という事実。

 中学生の頃以来、野球を楽しいと思ったことはないらしい、、、。

これだけの活躍と成績を残した選手が、、、だ。

我々一般人からしてみたら、この人、何を言ってるんだろう。楽しいに決まってるじゃないか。お金を払ってまで沢山のひとたちが自分のピッチングをみてくれて、好きな野球をやって、、、。

しかし、そこにはマウンドに立つことの恐怖心、プロとしての責任感、苦しみ、、、。

様々な事例が記されている。

プロに入ってからは特にそれを強く感じている。

自分にとっては、シーズンを通しての1試合かもしれないが、今日初めてプロの野球を見に来ている人もいるかもしれない。一生に一度の野球観戦の人がいるかもしれない。

それを考えたら、今日は調子が悪かった。切り替えてまた明日から頑張ろう。

なんてことでは片付けられない。

黒田選手のマウンドでの姿にはそんな並々ならぬ思いを感じ取ることができる。

野球はチームスポーツであることは間違いない。

それでも、マウンドほど孤独な場所もないと思う。

その孤独に耐えることは苦痛なのだろう。到底、想像できるものではない。

現にその苦痛を感じることができるエピソードが記されている。

『ドジャースからの4年契約を、自ら3年契約にしてもらった』

ことは有名である。

メジャーリーガーからしたら考えられない提示だ。

誰もが、1年でも長く契約を勝ち取りたくて交渉するのに、自ら契約期間を縮めるなんてナンセンスだ。

しかし、その理由はいたってシンプルで『1年でも苦しいのに4年もこんなに苦しいことは耐えられない』というのだ。

シーズンが終わるごとに本気で野球を辞めようと毎年思うらしい。

ではどうやってその苦しみを乗り越えてきたのか。

それはとにかく『目の前の目標にこだわる』ということだ。

 

意外にも黒田選手は自らを粘り強くない人間だという。(全くそうはみえないが、、、。)

粘り強くないからこそ、これまで続けられたのだという。

長いスパンでの目標が立てられないからこそ、一年一年、1日ずつ、一瞬でも。

ということになるのだろう。

とにかく手の届く目標を立て、それを一つずつクリアにしていく。

いってみれば、目の前のことにしかみない。

明日を切り拓くためには確かに、それしかない。

これは我々、社会人に通じることでもある。

先の目標、未来を描くことは大切だと思うが、5年後、10年後の目標を掲げたところで5年経って、10年経って急にその目標が達成されるわけではない。

当たり前のことかもしれないが、日々の積み重ねがそれらの不安を払拭するし、目標に近づくことなのだ。

 

確かに、そう楽しくはないだろう、、、。

 

 

『男からかっこいい』と思われる所以。

については、この著書にいくつも書かれている。

それを象徴するシーンが、ドジャース時代にある。

メジャーリーグでは、日本と違い一年間キャッチボールをする相手が決まっているらしい。

(これを読んで初めて知った)

黒田選手のパートナーはクレイトン・カーショー選手だった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/

 

黒田選手とカーショー選手の関係はここにもよく記されているので参考にしていただきたい。

https://full-count.jp/2014/01/19/post1288/

年齢こそ一回り程度も下のカーショー選手だが、お互い同じ年(2008年)にメジャーデビューを果たし、そこから黒田選手がヤンキースに移籍する2011年までパートナー関係は続いた。

お互いがお互いの実力を認め合い、切磋琢磨した。

2011年,2013年とカーショー選手は、サイ・ヤング賞を受賞する。いわばその年のメジャーNo.1投手だ。

サイ・ヤング賞を受賞した2011年、カーショー選手は既にシーズンでの登板を終える。

この年、チームは優勝の可能性がないため、普通なら彼のシーズンはここで終わりである。

(これも初めて知ったのだが、メジャーでは投手には肩を少しでも休ませるため無駄な球は投げさせない。よってカーショー選手の2011年シーズンはここで終了のはずだ)

登板の残っている黒田選手はこの日だけは、違う選手とキャッチボールを行い試合の準備をする。これはごくごく普通のことらしい。

 

しかし、2011年のその年、シーズンを終えたはずのカーショー選手が黒田選手とのキャッチボールのためだけに現れたのだ。これはほんとに考えられないことらしい。

驚くチームメイトに彼は

『僕がいなければヒロ(黒田選手)は誰とキャッチボールをするんだ?』

と言ったらしい。

この言葉に黒田選手は胸が熱くなった。

おそらく、彼はこれが黒田選手との最後のキャッチボールになることを感じていたのだろう。(翌年、黒田選手はニューヨークヤンキースに移籍する。)

 

それにしてもだ、、、。

情深いと言われる我々、日本人がこういう行動をするのはなんとなくわかる気がする。

でもこれをメジャーの超一流選手にさせてしまう黒田選手。

性別、年齢、国籍、立場、年俸そんなものは何も関係なくて、黒田博樹という人間の男気は国境を越えた。

 

意思あるところに道は開ける。(リンカーンの名言)とはいったものだが、意思あるところに意思ある者は集まる。

高校時代「補欠選手」として過ごした3年間、それでも野球を続け、大学は当時東京都2部の決して強豪とはいわれない専修大学で凌ぎを削り、諦めずにプロの道を目指した。

強い意思を持ちコツコツと積み重ねていくことで、道は開かれた。

いや、拓いたのだ。自分自身で。

 

さいごに

黒田選手の座右の銘【耐雪梅花麗(雪に耐えて梅花うるわし)。】

西郷隆盛の詠んだ漢詩の一節であると言われている。

意味としては、「梅の花は寒い冬を耐え忍ぶことで、春になれば美しい花を咲かせ麗しい香りを漂わせる」といった具合でしょうか。

梅花をチョイスするところあたりが渋い。

しかし、この言葉がこれだけ似合う人はいない。

 

それは黒田選手の現役時代の投球回数をみてもらえば一目瞭然だ。

こちらを参照いただきたい

http://nipponbaseball.web.fc2.com/personal/pitcher/kuroda_hiroki.html

派手なタイトルこそ少ないものの、この数値の凄さは、野球好きの方なら誰もが理解出来るはず。

ざっと15年以上はローテーションを守り続けている。

一流といわれる大投手であってもこの数値を残すのは容易でないだろう。

ぱっと頭に浮かぶ選手はあまりいない、、、。

この数値の中に、長いプロ生活に苦しみ耐え抜いた様相が伺える。

それを15年以上も続けるのだ。

我々の想像を遥かに越えたものに違いない、、、。

そんな姿が想像できる。

 

黒田選手はこうも言う

ある時、「今日の一勝が大きな自信となりました」という投手がいる。

でも、『その一勝で自信が持てるなら、その自信は一敗であっという間に失われる』

と考える。

なんとも説得力がある。

 

要するに、自分には絶対に出来るんだ。という自信を持つことが必要なのか。

夢を叶えるんだ。と覚悟を決めることが必要なのか。

一つでも多くの技を身につけその技を磨きものにすることが必要なのか。

誰にも負けない体力をつけることが必要なのか。

知識を豊富に蓄え、賢くなることが必要なのか。

どんなに苦しいことがあっても、耐え抜くことが必要なのか。

苦しみもがきながら暗中模索することが必要なのか。

 

どうなんだろう、、、。

 

いや、そうではない。

 

いくら理屈や理論を並べてみても、自分が行動し、道を拓かなくては何も成し遂げられない。

決断だ。

 

結局、何かを成し遂げるためには良い時でも、悪い時でも常に努力し、

『積み重ねていくこと』でしかその先はない。

それ以上でも、それ以下でもない。

それだけだ、、、。

ただそれだけなのだ。

 

それだけのことを究極に体現したのが、黒田博樹という男であることを私は確信した。

 

もう一度、読み返してみたくなった。

 

本音を言うなら、今年もマウンドで男が惚れる男の姿をみたかった。

 

 

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