市原誉昭 & 小宮山友祐 師弟対談 - 日本代表の4番の重み

今回のインタビューを行わせていただいたのは、ボアスコンプラスを運営する、スタジオコンチーゴ株式会社が、市原選手のホームページ・ブログ、小宮山選手のブログを制作させていただいている縁から今回のインタビューは実現しました。ボアスコンプラス森田がインタビューに同行し、撮影、インタビューを行わせていただきました。

2010年シーズンを振り返って


2010年シーズンを振り返る市原選手

俺は振り返るどころじゃないかな・・何て言うんだろう。
振り返っても、シーズン通して戦ったなって実感は、まったくなくって。本当に苦しいシーズンだったなって。

あれ?ジュニオール(当時のペスカドーラ町田の監督)っていつ変わったんでしたっけ?あっという間に変わったなって言うのはなんとなく覚えてるんですけど。

2巡目かな?元々、カスカベウっていうチームがあって、それが再結成じゃないけど当時を知ってる人の期待感は大きかったのかな。でもあの頃とは時代が違うし、昔のような・・・、みたいな感じは全く思ってなかった。でも、自分がフットサルを始めたチームでFリーグを戦えるのは楽しみだったし、嬉しかったよ。でも、実際にリーグが始まってみたら、自分自身がチームに貢献出来なかったと言うか、自分の役割を果たせなかった。開幕戦は少し手ごたえを感じたんだけど、第2節を大差で負けて、それからはもう歯車がずっと合わなかった。でも、浦安は町田に比べて良いスタートだったよね?

そうですね、アウェーの試合で、少ないチャンスをものにして、町田に勝てたのは大きかったです。その後も、何とか結果を残して、リーグ当初は2位につけてたんですよね。
去年の僕たちってすごい未知数だったんですよね。セグンドから新しい選手が沢山入ってきて、監督も岡ちゃん(岡山監督)に代わって、そんな中のスタートで、本当に手探り状態で。オーシャンアリーナカップでも、いきなり湘南ベルマーレに負けて、プレシーズンマッチもあまりよくなかったんですけど、若い選手たちが頑張ってくれたおかげですね。でも、研究されてくると、やっぱり引き出しが少なくて、以前から出てる選手に頼る時間帯が多くなってましたね。結果だけ見ると、10勝10敗7分で、イチくんが居た2年前のシーズンと全く同じ結果だったんですよね。
あとは、名古屋、神戸、府中という上位チームには、フィジカルが強い選手が居て、そういうチームに対してちょっと弱かったですかね。

昨シーズンは、自分は1試合しか対戦しなかったけど、浦安と対戦するのはものすごい楽しみだったし、浦安の順位はいつも気にしてて、浦安よりも上の順位に居たいなんて思ったりもしてたしね。あと、浦安がどんなフットサルをしてるかとかも気になってて。あと、プレーじゃない部分で、たかし(中島選手)、もっさん(岩本選手)、こうたろう(稲葉選手)が、友祐(小宮山選手)がもの凄く変わったって言ってたんだよね。今までの熱い気持ちは変わらないけど、広くなったっていうのかな?若手に声をかけるにしても、全体を見て、客観的に声をかけられるようになったってね。まあ、一言で言うと頼もしくなったのかな?

そうですね、2009シーズンは、イチ君、いな君(稲田選手)なんかもいて、甘えてた部分もあったんですかね?プレーする時間もかなり長かったし、周りにそこまで気を配ることができなかったんですよね。でも、2010シーズンは若手も入ってきて、今までどおり厳しく言うと悪影響を与えちゃうんじゃないかなって思ったりもしましたよね。

友祐のそんな姿勢が若手にも理解してもらって、
おぐ(小倉選手)が結果を出したりしたことにつながってるんじゃないかな?
 

確かに嬉しかったですね。でも、その反面、厳しさがかけてたのかなって言う気もしてるんですよ。練習中とかにも若手にそこまで厳しく言うことが少なくなって、皆としても物足りなかったのかなって気もするんですよね。
イチ君も感じません?若手に何かを伝えたり求めたりしても、返ってこないんですよね。何かを伝えて、分ったような感じだけど、実際には分ってないし、分らないままで聞きにもこないし。そういうことで、こっちも戸惑っちゃう部分もありますよね。

小宮山選手のスクール活動について

そういえば、最近子供たちを教えてるんだよね。友祐もブログでスクールでやってることを紹介したりもしてるしさ。フットサルを誰かに教えるとか、子供を教えるって、今まであんまりやってなかったじゃん。スクールやって、チーム練習をするっていう生活をどう感じてるのかなって?

今は、自分もまだ現役じゃないですか。将来的に自分が何をやりたいのかなって考えたときに、自分がここまで関わったスポーツ(フットサル)をもっと広めたいなって。例えば、高校を卒業して、サッカーを選ぶ子もいれば、フットサルを選ぶ子もいるみたいな環境にしたいなって思ってるんですよ。もっと世間一般に認知されて、夢があるスポーツにしたいって思ってます。サッカーの小さい版のスポーツって言われるのはやっぱり嫌なんですよね。ひとつのスポーツとして、認知してもらいたいです。

それって、フットサル選手だからこそ感じることだと思うんだよね。自分としても、子供たちに、サッカーだけじゃなくて、フットサルっていうスポーツもあるんだよっていう選択肢を増やしてあげたいよね。サッカーでうまくいかなくっても、フットサルもあるんだよっていうオプションを増やしてあげたいよね。だから、フットサルのことが大好きで、本当に情熱を持ってる人が指導できれば、そのフットサルの可能性とか面白さがよく伝わるんだと思うんだよね。友祐がやってるスクールって言うのは、本当に重要だと思うんだ。

サッカーでちょっと上手くいかなくっても、試合に出れないことがある子がいたとしても、フットサルで輝くものがあるなら、フットサルの可能性も選択肢の一つとしてあるんだよってことを本当に分って欲しいんですよね。

足先が上手くなるとか、そういう単純なことじゃないんだよね。
とにかく、沢山の子供たちにもフットサルを知って、見て、やってもらいたいって思う。
そうすれば、子供達の可能性が更に広がっていくと思うから。

先月(2011年4月)まで、日体大の現役サッカー部のAチームに、週に1回フットサルを教えてたんですよ。彼らも全然違うスポーツだって言うし、毎日フィジカルトレーニングをしてる学生たちも、フットサルのゲームをやるとゼーゼー言うし。ガンガン走る日体大のサッカーで結果を出せない子がいたとしても、フットサルだともの凄い可能性を秘めた子もいるんだから、それが小学生だったら、その可能性って何倍にもなると思うんですよね。

それって、凄い重要なことだよね。『フットサルって凄い!』とか、フットサルの魅力を伝えることって、やっぱし自分たちの役割だと思うんだ。
それと、少年サッカーが8人制になるでしょ?ルールはサッカーのままで、オフサイドもある。ただ、交代は自由で誰もが試合に出れるようになる。それってどうなのかなって気もしちゃうんだよね。試合に出れない悔しさとかをどこで学ぶのかなって。

教えるということにとても熱心な小宮山選手

本当にそう思います。スポーツだけじゃなくって、社会生活でも必ず競争ってあるわけじゃないですか。必ず差はあるものだから、それは小さいころから学ばないといけないと思うんですよね。自分のスクールの対外試合がある予定なんですが、子供たちには言ってあるんですよ。『今度の試合、試合に出れる人もいれば、出れない人もいるかもしれない。』それって何なの?っていうことになると、それは現時点でのレベルの差だよ。それで諦めちゃうなら、それでもう終わりだし、それを埋めようと頑張るかどうかは自分次第だよ』って話をしたら、子供たちは真剣に聞いてくれてて。

それが上手くなるための一番の近道だよね。競争して、負けたら悔し涙を流して、そんな思いをして育って欲しいって思う。

間違いなくそうですよ。どんな社会でも勝ち負けは絶対にあります。
こないだ、自分のスクールで3・4年生チームと、5年生チーム、6年生チームで試合をしたんですよ。そしたら5年生チームが優勝したんですよ。6年生が負けたから、本気で6年生を叱りました。『最初から勝てると思って試合しただろ?』って。練習に来て上手くなるとか、こいつだけには絶対負けないとか、そういう気持ち無しにやるんだったら、公園で一人でボールを蹴るのと何も変わらないと思うんですよね。それは毎回子供たちに伝えています。

今まで友祐が子供を教えてる話を聞いたことがなかったけど、こうやって改めて聞くと、まさに天職なんじゃないの!?教師の経験があって、もの凄い熱い気持ちがあって、伝えることができるじゃん。友祐にしかできないことなんじゃないかなって思う。

それ、他の人からも言われたことあるんですよ。自分のスクール、デルソーレ中野の垂脇君がアシスタントコーチをやってくれてて、優しくって子供からすごい好かれてるんですよ。自分はメインコーチで、褒めることもあるけど、子供たちを滅茶苦茶叱るんですよ。その後に、垂脇君が上手くフォローしてくれて、上手く分業ができてるって言うか。それで悔しいって思って、更に頑張ろうって思ってくれれば嬉しいですよね。今はまだ現役でプレーをしてて、自分でもまだ見せられるから、まだ伝えやすいと思うんでうすよね。

そうだね、そんな環境を選手自身で作っていかないといけないと思うんだ。
代表に入ってる友祐みたいな選手がそういう想いでやってくれてると、
日本のフットサルが更に広がっていくと思うんだよね。

ひとつ思ったんですけど、自分だったり、イチ君だったり、健太君だったり、いろんな選手がやってるスクールの対抗戦なんて出来たら面白いんじゃないかなって思うんですよね。それぞれのスクールがどういうことを教えてるのかなって、見てみたいんですよね。面白いと思いませんか、そんな交流戦みたいなのがあったら?

いいね、面白そうだね!自分も毎年、fielCupっていう子供の大会をやってるんだけど、そんな感じでスクール対抗戦みたいなのが出来たら面白いね。それぞれのスクールの色もあると思うしね。10チームとか集まったら、最後に自分たちがエキシビションマッチなんてやっても面白いだろうしね。

そういうのって新鮮だと思うし、絶対に面白いと思うんですよね。バルドラール浦安のスクールとかも対外試合をやるんですけど、対戦相手はサッカーチームだったりするんですよね。だから、フットサルをやってるチームで是非試合をしたいです!絶対に面白くないですか、これが実現できたら!

日程調整して、是非やろう!
最初は4チームくらいでもいいかもしれないから。
是非実現させなくちゃいけない企画だよ!


二人の出会いについて

自分とイチ君の出会いは、スポーツパーク調布でしたね。自分がたまたま出場した民間のフットサル大会にイチ君が対戦チームの助っ人で来てたんですよ。

自分がサッカー・フットサルを企画する会社でアルバイトしてた頃に、大会に参加してたんだよね。1998年くらいだったかな。自分も多分、既に代表に入ってたと思うんだ。そこで、友祐の兄貴がいた、FC相原っていうチームがいて、結構強くて、そこで初めて友祐と対戦したんだよね。でも、自分たちのチームは4人しかいなくて負けたんだよね。そのとき、定永(バサジィ大分)もいたんだよね。友祐はその時は学生?

自分はその時は大学生です。自分の兄が地元のチームでワンデー大会に出てたんですよ。フットサルじゃなくて、ミニサッカーでしたけどね。当時はフットサルのことを全く知らなくって、そんなに興味もなかったんですよ。
ある日、兄からCOPA JALの大会を見に行こうって誘われて浜松までその大会を見に行ったんですよ。イチ君がいたカスカベウとか、Firefoxとか、日系人のチームとかが出てて。ガチンコ対決を見て、『あっ、これは凄いスポーツだ』って思うようになったのがきっかけですね。それからフットサルにのめりこんでいきました。今は『イチ君』て呼んでますけど、当時は敬語で『どうしたら上手くなりますか?』なんて、漠然としたことを聞いてたりしてましたね。

その頃からだよね、本当に真剣になったのは。で、チームを移籍するって話になったときに、カスカベウかFirefoxのどちらかになるって話になったんだよね。自分は、友祐はカスカベウに来るんだろうなって思ってたんだけどFirefoxに行っちゃったんだよね(笑)。

どちらのチームに行くにしても、数々の偉大な先輩がいましたからね。でも、Firefoxに入って、やっとイチ君と同じ土俵に立てたわけじゃないですか。民会の大会だったり、人工芝だったりだと、どこまでイチ君なんかも本気でプレーしてるかわからないじゃないですか。やっと同じ土俵で勝負できるって言うのが嬉しかったですね。

Firefoxに入って対戦相手になってからは、あまり話す機会もなかったよね。
会場で顔を合わせて程度だったからね。
いつからだっけ?またお互いに話すようになったの?

自分がやっとイチ君とフットサルの話をするようになったのが、自分が代表に呼ばれるようになってからですからね。
昔と変わらず今となっても、自分がイチ君をこれだけ尊敬しているのは、2004年のフットサルワールドカップにイチ君がアキレス腱を断裂して出れなくって、その時に代わりに呼ばれたのが僕なんですよ。イチ君の代わりに呼ばれて、イチ君の日本代表の4番をもらったんですよ。日本代表の4番っていったら、やっぱりイチ君のイメージが強くって。それってもの凄く偶然だと思うし、その4番をつけさせてもらうようになってから、想い入れはもの凄い強くなりましたよね。だから、日本代表の4番だけは、イチ君が帰ってくるまでは、他の誰にも渡さないって気持ちです。

浦安でも4番つければいいのに!(笑)
どうなの、実際のところ?
興味は無いわけ?

いやいや、浦安では5番でいきますよ(笑)。やっぱり、代表の4番とは違うんですよね。チームのフロントからも4番にするか?と聞かれたんですけど、それは断りましたよ。浦安の5番にそこまで強い想い入れはないんですけど、日本代表の4番にはもの凄い強い想い入れがあります。
2007年、Fリーグが始まる年にバルドラールに移籍をして、イチ君と一緒にプレーを出来ることになって、やっぱりもの凄い嬉しかったんですよね。

でも、そっからは日本代表の4番は友祐だなって感じだったからね。
もの凄い影響力もあるし、存在感もあるしね。
そこまで強い思いを持ってプレーをしている人もそこまでいないだろうしね。

イチ君が出れなかった、台湾ワールドカップでイチ君の分まで!
っていう思いは強かったんですけど、結局1分しか出れなくって。
まあ、それも当たり前なんですけどね。

それから4年後の2008年のワールドカップの直前のタイ遠征のとき、4年ぶりに代表に入ったことがあったじゃん。そのときも、俺はもう4番は友祐に託してたからね。友祐からはつけてくれって言われたけど。結局その時は3番のユニフォームでプレーをしたんだよね(笑)。でも、あんな経験なんてそう簡単には出来ないしね。友祐が4番をつけてくれてたからこそ、自分はもう安心して4番を任せられたね。

イチ君とバルドラールで一緒にプレーをするようになって、コミュニケーションをとる時間も増えると、4番に対する思いが更に強くなりますよね。やっぱり、人間的にも尊敬できる人だし。イチ君から健太君に受け継がれて、自分たちの世代に受け継がれてると思います。
でも本当に不思議な出会いですよね。あの民間大会に出て、イチ君に会ってなかったら、自分もここまでフットサルにのめりこまなかったと思うし。今、自分がここにいることも無かったと思うんですよね。だから、イチ君との出会いって本当に大切なものでした。それが現在の日本代表への想い入れにもつながっています。

日本代表にはやっぱりずっと憧れの存在であって欲しいと思うし、誰からも尊敬されるようなチームであって欲しいと思うんだ。友祐は今も代表に居続けて、キャプテンもやってるわけでしょ?今まで代表に居て、色々な選手を見て、色々な環境でやってるから、沢山のことがわかると思うんだ。そんな友祐やグレ(木暮選手)が今後もずーっと引っ張って行くかっていうと違うでしょ?色々な過程があってさ、澄さん(相根選手)がいたり、健太(藤井選手)がいたり、自分がいたりして。それで、友祐の次は誰が引っ張っていってくれるのかなって、やっぱり気になるよね。

そうですね、自分も木暮も、今年で32歳になるので、20代の選手でリーダーシップを発揮する選手が出てきて欲しいと思います。今って環境が以前と比べたら恵まれてると思うんですよ。自分たちが関東リーグのときは、専任監督も居なかったし、トレーナーもフロントなんてもちろん無かったし。そんな環境がハングリーさを与えてたのかなって思いましたよね。そのハングリー精神を忘れずに、心技体揃った選手が出てきてくれると嬉しいですね。
代表って常に居られる場所じゃないじゃないですか。居たいって思ってて居れる場所でもないし、選手である限り目指すべき場所だと思うし。代表に居て当たり前と思ってる選手と、ボーダーだと思ってる選手、その意識の差だけでもかなり大きいと思うんですよね。そんな意識を皆で持っていれば、日本はもっと強くなると思うんですよね。

Fリーグの選手にも勘違いして欲しくないのは、まだまだ自分たちはFリーグであって、Jリーグとはやっぱり違う。歴史も違ければ、認知度も全く違う。Jリーグの3倍も5倍も努力しないと全く追いつけないし、全員が危機感みたいなものを持たないと難しいと思うんだよね。その積み重ねが日本を強くすると思うから、年上世代の自分でもあこがれるような存在であって欲しいと思うよね。


2011年シーズンの目標と意気込み

昨シーズン以上の結果はもちろんだけど、こんな時だからこそ、今まで以上に見ている人達が喜んでくれる楽しい試合がしたい。もちろん応援してるチームが負ければ悔しいけど、でもスポーツの素晴らしいところって、勝敗だけじゃない。頑張っている人の姿や、その人を応援している人の姿を見るだけでも元気や勇気をもらう事が出来る。試合が出来る喜びを噛みしめながら、感謝しつつ、今シーズンを戦って行きたい。

昨年はチームに未知数の部分が大きくあり、結果としてどうなるかを具体的に考えることが出来ずにいたシーズンでしたが、今季は優勝という大きな目標に関して具体的に結果を出せるように、臨んでいきたいと思います。未知数という言葉ではなく、自分達のストロングポイントはどこなのか、どこで勝負するのかをはっきりとさせ、毎試合、良いパフォーマンスを発揮し、そして、何より東日本大震災で被災したホームタウン浦安市に少しでも元気や活力を伝えることができるように全力で頑張ります。

市原誉昭 & 小宮山友祐 師弟対談