真の強さ(前編)

2017年04月08日

真の強さ(前編)

例年になく、開花の遅い今年の桜前線。

自分の中で根付いてるもの

1月、3月、5月、7月、9月、11月、、、。
この月を挙げて、ピンときた人は、ここからのコラムを少しは楽しんでいただけるだろうか、、、。
そうでない人も、興味本位で構わないのでお付き合いいただきたい。

さて、上記、6つの月は、【大相撲】の本場所が14日間にわたり繰り広げられる月間でもある。
相撲というと日本の[国技]と思う人がいるが、厳密に言うと日本に国技はない。
国技とは、法令によって定められているものであって、日本に国技はないのが現状だ。

因みに、サッカー王国ブラジルの国技はサッカーではなく、「カポエイラ」という格闘技だ。
国民に愛されるスポーツはまず間違いなく、サッカーだろう。

さて、話を戻す。
そんな我が国で愛されているスポーツといえば[相撲]ではないだろうか。
愛されている?というよりも、文化的に根付いている?といった方がいいだろうか。
幼心に、NHKは相撲が流れる局。というのを把握していた。
ごくごく自然な流れで、その頃、テレビにかじりついて大男たちの戦いに目を奪われた記憶がある、、、。
後にわかるのだが、周りに相撲をテレビでみている人はごくごく少数だった、、、。
我が家では、18:00に放送が終了になる直前、結びの一番が終わるとテレビ画面では本日の取り組み結果を順に振り返る。
場内の電光掲示板が右から左へと流れると、本日勝った力士にはランプが灯る。
それを眺めながら、「上、下、上、上、、、、」とよく父親と画面に沿って予想を言い合っていた。
(まあ、終盤の取り組みはリアルタイムで観てしまっているので、そこは予想にはならないが。)
単純に相撲は観ていて面白かった。

醍醐味

たった一瞬で勝負が決まる相撲の中には様々な駆け引きがある。
色んな面で、他のスポーツとは一線を画する部分はあるが、ひとつ特徴的なのは、スタート(試合開始)である。
審判(相撲でいうと行司)がいて、大方のスポーツは、審判の合図(ホイッスルやブザー、アナウンス等)よって試合が開始される。
しかし、相撲だけはこの点が違う。
いわゆる、[立ち合い]は、行司の合図から、お互いが両手を土俵につけ、呼吸が合って、お互いのタイミングで開始される。
両者の呼吸さえあえば、制限時間前に開始することも可能である。
一瞬の勝負ゆえに、いかしにして有利な立ち合いを組むことができるか。
相撲は立ち合いで、6-7割方勝負が決まると言っても過言ではない。

82手もあるの決まり手も相撲の醍醐味といってもいい。
小さな力士が、100kg近く体重差のある力士を、巧みな技で倒す瞬間は興奮する。
はたまた、大きな力士同士がぶつかり合う瞬間もなかなか迫力がある。

「そんなに相撲みて面白いの?」と友人に聞かれることも多々あった。
しかし、その質問の意味は、よくわかっていなかった。
「相撲はなぜ、大人たちだけが観て盛り上がっているのだろうか。」と思っていたこともあった。
今は平日の18:00に自宅に帰れることはほとんどのないので、リアルタイムで見る機会も減った、、、。
しかし、便利なもので今はネットで全ての取り組みをその日のうちに配信される。さすがに全ての取り組みを観ることはないが、結構な数の取り組みを見てしまう。。。
四股名があるのも相撲ならではでないだろうか。
小学生?中学生?ぐらいの頃は、幕内力士なら全力士の四股名も読めたぐらいだ。
四股名からよく漢字を覚えていた。
今でもおそらく、7,8割は読めるかと思う。(たぶん、、、。)
というのも、これも時代の流れなのだろうか。今風に言うと所謂、【きらきらネームが多い、、、。】

なぜ今、相撲なのか。

このタイミングでなぜ、今相撲を話題に挙げたのか。
第72代横綱『稀勢の里』の登場があったからである。
日本人力士としては、若乃花関以来、実に19年ぶりの日本人横綱の誕生である。
日本人力士だから。
という偏見は私にはない。
単純にこれだけ、ポテンシャルがあり、注目されながら、いつも最後の最後のところで詰めが甘く、横綱という最高地位に君臨することが出来なかった。
初優勝後、ようやく、昇進した横綱も、すでに30歳の年齢を迎えていた。
世間からは、『日本人力士だから少し同情もあるだろう。』『横綱にするのにはまだ早い』と揶揄されることもあった。
それでも、先場所(大阪場所)横綱昇進後、初の場所で見事な優勝を成し遂げた。
世間の評価は確信に変わった。
私自身も今場所、稀勢の里関のほとんどの取り組みをみたが、なんというか風格?貫禄?がこれまでとは見違えるようだった。
『身体の強さ』と『土俵際の強さ』これが他の力士とは格段に違うところではないだろうか。
大関時代、何度も何度も横綱への挑戦権を得ながら、失敗。
折れかけた心でも、戦い続けた。
印象的だったのは、横綱昇進後、勝ち切れなかった大関時代、一番辛かった時期(こと)は何かの質問に、横綱稀勢の里は、こう答えている。

『何度も、最後の最後で勝てなくて、苦しい時期もあった。

でも、一番辛かった(苦しかった)のは、怪我で1日休まなくてはいけなかったこと』

ここに真髄がある。
今場所、あれだけの怪我をしながらも、休場することなく、奇跡の優勝を成し遂げた。

後編ではその辺も、紐解いてみたい。

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