求める道の先にあるものとは。

2018年03月08日

求める道の先にあるものとは。

日本中が歓喜に包まれた平昌オリンピックから既に1週間以上の時が経った。 様々なブームを巻き起こした今大会。
大きなスポーツの祭典が終わる度に思うことは、「メディアの在り方」そして我々、「視聴者の捉え方」。 幾度となく、これらが一過性のブームでしかなかったことを目の当たりにしてきた。人生をかけてチャレンジするアスリートに対して、我々はどう報道し、残していかなくてはならないのか。
それを思うと、大会が終わるころ、一抹の寂しさと不安を覚える。
我々にとっては、ブームかもしれないが、アスリートにとってはすでに次の目標に向かってまた厳しいチャレンジは始まっている。
どこに目を向けるべきなのか。
やはり物事の本質を捉えることの大切につくづく気づかされる。

注目していた日本選手たちはおおよそ、期待通りの活躍をみせてくれた。
少し残念だったのは、スノーボードの平野選手とノルディックの渡部選手だろうか。
平野選手は明らかにほかの選手とは次元の違う完成度を示した。
王者、ショーン・ホワイトにこそ破れたものの、、、。
あの2回目の滑りを3回目で出していたら、、、。間違いなく頂点は見えていたはずだろう。
勝負事にタラレバは厳禁であることは百も承知だが、、、。採点競技の難しさを改めて思い知らされた。
それにしても、この平野選手。
どんな大会の時でも、一発目のエアーに必ず、世界一高いエアターンを入れてくる。
各国の選手たちは最初のエアーから回転系を入れたりする中、平野選手だけはいつも美しく、高いエアーを見せつける。
そのスタイルは、小学生の頃から変わっていないらしい。
そこには本当に強い意識を感じる。
時代が変わり、技も技術も進歩する中、それでも自分のスタイルを貫き、最初のエアーでかます。
『さあ、平野歩夢の登場だ。よく見ておけ。』
無言の主張には彼のプライドと自分のスタイルで必ず頂点に登り詰めるんだ。
という強い信念を読み取ることができる。
4年後、表彰台の1番高いところに立つ平野選手をみてみたい。

2大会連続銀メダルの渡部選手は、本当に素晴らしかった。
大会後、負傷していた情報を知り、とても残念でならなかった。
これまたタラレバになるが、万全の状態で臨めていれば、、、。
「頂点が見えているのに登り方がわからない」
と表現した渡部選手。この一言に全ての思いが込められていた。
金メダルを追い続け、4年後を見据えてスタートを切ることが出来るのかどうか。
簡単なことではないだろうが、葛西選手同様、渡部選手にはどうしも頂点に立ってほしい。

一方、ここに今回の平昌で頂点に登り詰めたアスリートがいた。
海外メディアからの質問に丁寧に答えるスピードスケート日本代表女子の小平奈緒選手。
1000mでは銀メダル。500mではORをたたき出し、見事金メダルに輝いた。3度目のオリンピックで果たした悲願。
しかし、金メダルを獲得しても、一つも浮かれない彼女に非常に好感を抱いた。
韓国の李相花選手をそっと抱きかかえるシーン。
ORを出したレース直後、湧き上がる場内に対し、口元に指を置き、観客に「静かに、次のレースが始まる」と合図をするシーン。
これらのシーンにも感動したが、その行動はただ好感を持てただけでなく、彼女の追い求めるスケートに対する哲学にあったことに気付いた。

海外メディアから「アスリートとして自分自身を表現する言葉を3つ教えてほしい」
という質問に対し、言葉を選ぶように、一つ一つ丁寧にこう答えた。
「求道者」
「情熱」
「真摯」
もちろんメダルを取る前から、小平選手の存在は知っていた。
W杯での圧倒的な強さ、オリンピックでの悔しさ。その姿をみてきた。
しかし、今回金メダルを獲得したことによって、多くのメディアで彼女が取り上げられた。
とにかく、スケートを【極める】その姿勢に感銘をうけた。
スケートに対する哲学というか、なんというか。ちょっと飛び抜けたものを感じた。
今回はそのほんの一部しか紹介できないが、私自身がもっと彼女について知ってみたいと思っている。
小平奈緒という選手の本質を私はまだほんの一握りもつかめていないようにも思っている。

転機はやはり、オリンピックで負けて、オランダに武者修行に出たころからなのだろうか。
成績も上がり、W杯でも勝つようになったころ。世間からの注目度も一気に上がった。
そのことに、疑問を持ち続けていた小平選手。
【勝ち負けは関係ない】自分の目指すものは【順位】ではない。常にこのことは念頭にある。
とにかく、その日、その日でベストを尽くす。
小平選手の印象に残っている言葉の一つに【順位はコントロールできない】ただ自分のベストを尽くすだけ。
という印象的な言葉がある。
一見、当たり前の言葉に聞こえるかもしれないが、ここにすごく深みを感じた。
私自身、まだこの言葉の真意をどう解釈出来ているのか疑問ではあるが、小平選手の言わんとすることは、ほんの少しだけ理解することが出来る。

金メダルを獲る。と公言しない小平選手の哲学的思想は、オリンピック前のこんな発言にも表れていた。

【オリンピックの舞台で、本当にやりたいのは、世界の強い選手と自分のベストを出し合う。氷上で自分を表現し合うこと。戦いではなく【仕合い】それがスポーツの本当の醍醐味】

と言っていた。

相手があって、己の力を出し切る、戦い抜いて、【競い合う】ことが私は【スポーツ】だと思っていた。
でも、それは違っていた。
小平選手は、【仕合い】という最も彼女らしい表現をしている。

【求道者】という言葉をアスリートから聞いたのは初めてかもしれない。
とにかく、スケートを極める。究極の滑りを追い求める。
そこに競い合いはない。
【誰かに勝つというのは、相手に対して、『遅く滑って』とは言えない。自分ではコントロールできない。だからそれは余分なこと。自分が強くなれば相手より速い。その方がタイムももっと先の方までいけると思う】
そう語った。

与えられるものには限りがある。求めるものは無限である。

小平選手の求める究極がどこにあるのか。
彼女の求める道の先になにがあるのか。その景色はみえるのか。

きっと、また道は続くのだろう。

なぜなら、彼女は「求道者」だから。

でも、いつかはみてみたい。

そんなことを感じずにはいられなかった。

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